ドイツの児童養護施設



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私が実習を始めて1ヶ月程経ったある日、マーヴィン(5才、男)とジェスィカ(7歳、女)(共に仮名)のきょうだいが児童養護施設にやって来ました。

 彼らの境遇はこうでした。

 彼らの実母が実父を殺害しようとしたため、実母が
逮捕・勾留されました。実父には1人で2人を育てられる
程の経済力も、生活力もありませんでした。そのため、
児童養護施設に入所することとなったわけです。

 2人はその殺人未遂現場を見ていたらしいです。風呂場で、部屋ドライヤーを使って実母が実父を殺そうとしていた現場を見たとき、二人は どんな思いをしたでしょう。

 二人は他の(児童養護施設の)子ども達に比べると、とても素直で明るい子ども達でした。よく笑うし、宿題の時間もお姉ちゃんのジェスィカは他の誰よりも一番熱心に取り組んでいました。

 他の子ども達と接する時もそうですが、悲しかった現実
を少しでも緩和させてあげられるよう、私も努力しました。しかし、いくら保育士や実習生が努力をしても、児童養護施設という場所が必ずしも
二人に安らぎを与える場ではなかった、と思います。

 他の年齢の大きな子ども達が荒れているため、小さい子ども達にも悪い影響をたくさん及ぼしていました。
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皆さんロマ族はご存知ですか?ロマ族は通称ジプシー族と呼ばれています。ルーマニアの少数民族です。

 ロマ族は古くから、親の取り決めで子供同士を結婚させる風習があります。これはルーマニアの国内法では認められないため、ロマ族の多くが法的な結婚をしていません。ルーマニアでは、ロマ族の独自文化を尊重する傾向が強いですが、EU加盟を前に改めて子ども同士の結婚が問題視されています。

 以前実習していたドイツの児童養護施設に、17歳の少女マリー(仮名)がやってきました。彼女はロマ族の娘でした。しかし、もう何年も前から家族と共にドイツに住んでいたのでした。すでにモデルとして仕事を始め、彼氏(トルコ人)もいて、順調な日々を送っていた彼女に不幸が襲ったのはある日のことでした。

 突然、マリーの父が
「お前のフィアンセ(もちろん、ロマ族)を決めた、明日が結婚式だ。」と言ったそうです。

 彼女はもちろん彼氏がいるので反対しました。しかし、マリーの父は結婚しなければお前を殺す、と言ったというのです。

 ロマ族では男性に大きな権限があります。その男性に従わなければ殺されるというのは本当にある話です。

 恐怖を感じた彼女は、その日の夜家を抜け出し、警察に保護を求めました。警察はロマ族の恐ろしさを良く知っていますから、急いで彼女を一時保護し、彼女を児童養護施設に入所させる手続きを取りました。

 マリーは、もちろん今までしていたモデルの仕事を続けることはできません。見つかったら本当に殺されてしまうからです。

 マリーは、驚く私に「それがロマ族なのよ」と言っていました。想像もできない人権侵害の恐ろしさに唖然とするほかありませんでした。

 マリーの場合は、17才でしたが、ロマ族では、10歳やそこらの子ども達が自分の意思とは全く関係なく結婚させられます。マリーの姪も、10歳で結婚させられたということでした。

「その前の日までお人形で遊んでた少女が結婚させられるのよ、信じられる?」とマリーは言っていました。

 彼女の母親も12歳で結婚させられたそうです。

 今でもマリーのことは鮮明に思いだすことができます。様々な民族がこの地球上にはいます。独自の文化を持っています。その文化が私達側から見ると、必ずしも人道的なものでないものもあります。そういう事実を目の当たりにしたのがマリーの一件でした。

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 児童養護施設で出会った子どもたちの中でも、14歳の少年ジャスィン(仮名)が一番印象に残っています。

 彼は出会った時からとても印象に残る子どもでした。14歳で背丈は私よりも高いくらいなのですが、愛情に飢えている感じで非常に幼く見えました。彼は精神のバランスを崩してしまったため、ある日を境に女性のような声しか出せなくなってしまったのだと言うことでした。今でも(といっても当時の話ですが)精神科の医師のもとに通っているのですが、精神的な理由で良くならないようです。

 児童養護施設に来ることになった生い立ちは非常に複雑でした。彼が生まれて間もなく、ご両親が離婚し、何故か叔母のところに養子に出されました。その叔母さんは独り者だったので、実質的には実母と養母(叔母)が二人でジャスィンを育てることになったようです。

 この実母が彼に言わせると「売女」のような女性らしく、彼は実母を恨む反面、非常に彼女を愛していました。
(話を聞いていると心が締め付けられるようでした。お母さん、僕を見て、僕を愛してという、ジャスィンの叫びが聞こえてくるようでした。)

 ドイツ語には人を罵る言葉が数多くあり、ジャスィンは、実母のことを様々な表現で「売女」だ、と罵っていました。

 実母はジャスィンに構うことはほとんどしなかったようです。彼曰く実母は、数多くの男性と付き合っていて、全く長続きするようなことがなかったようです。

 ある日、実母は付き合っていた男に2階の窓から突き落とされ、腰を骨折するという重症を負ったそうです。そのときジャスィンは、泣いて泣いて泣いて泣いて、とにかく泣いたそうです。

 実母とのいろいろなことのせいで、彼は精神のバランスを崩し、声が変質し、世間で言う「問題児」になっていったのでした。その問題行為が原因で、実母、養母とも手に負えなくなったため、児童養護施設で過ごすこととなったようです。

 彼の「問題児」ぶりは例えば、麻薬に手を出す、とかそういうことではないのですが、例えば、汚い言葉で他の子どもを罵ったり、人を煽るなど、人に構ってもらいたくていろいろなことをしていました。

 でも、私には「問題児」には見えませんでした。私も人間ですから、汚い言葉で罵られたり、煽られたりすると腹も立ちますが、彼の心の寂しさが良くわかったので、私は私だけでも彼を「問題児」として扱わないようにしようと思いました。

 彼は非常に頭の良い子どもだったので、この人を罵るパワーを何か他のことに費やし、自信が持てるようになると良いと
思い、日本語やフランス語を教えてあげたりしました。

 他の言語に触れることにより、彼の問題行動が少しずつなくなっていきました。「いつか言語学者になりたいなあ」という
夢も話してくれるようになりました。他のみんなができない
日本語など少しでもできるようになって自信がついたのでしょう。

 たくさん、褒めてあげました。私は彼の母の代わりはできないけれど、私が実習している間に少しでも自信をつけてあげられればと思い、一生懸命彼に向き合いました。

 仲良くなってからは冗談で「きららママ」と私のことを呼んでくれるようにもなりました。

 ほんの少しでも彼の力になれたのかなと思う嬉しい瞬間でした。

 今でも「言語学者」になりたいと思っているかどうかはわかりませんが、私と過ごした時間が今後のジャスィンの人生に少しでも光を残すものであったなら、とても光栄だなと思います。

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